2019/12/11
もう30年近く前ですが、医学部に入った年に、「医学生ゼミ」という学生の集まりに行きました。そこで二、三の学生たちが分科会をもっていました。「海外医療協力」というテーマのその会にいくと、中村哲という、口ひげを生やした先生が講演され、その後交流会という飲食の機会もありました。アフガニスタンというイスラム圏で活動されているとのことで、私は頑張っても濃いひげが生えないので行けないでしょうかというと、確かにそうだなと苦笑されました。155㎝ほどの小柄な方で、ハンセン病を診にアフガンにいかれたとのことでした。ご本にサインをいただきました。キリスト教徒だが、布教はしないと書かれていました。その後、参加者で連絡をとり、私も見た新聞記事をコピーして送りました。その後、集まりの連絡は自然消滅しましたが、お名前をみるたびに気にかけていました。
実はお話を聞いた頃、まだ40代半ばとのことでしたが、髪は灰黒、私のようにしまりのない顔でなく、苦労されたような朴訥なお顔でしわもあり、もっとお年の方にみえました。そして70代になられた最近の映像でのお顔をみて、髪は白~灰になられたものの、あまりお顔は変わっていませんでした。精神の若さなのでしょうか、今となっては、お年に比べて若々しく見えました。
その後、医療の前にまず水を確保しないといけないと、井戸を掘り、用水路を整備することを始められたと知りました。有名になられTVのドキュメントでも見ました。そして、武器を持たない、誰も敵とみなさないという、憲法九条を体現したようなお話をされていました。こんな方が、よく手弁当で学生の集まりに来てくださっていたものだなと思いました。後継ぎを期待されていたのかもしれませんが、申し訳なかったところです。結局内科や外科に行かず、やはり無理だったと思っていましたが、実はその先生は精神科出身でした。もっとも今でいう脳神経内科も含む、”神経科”の時代の先生だったでしょう。
今の私には、別の意味で感慨を覚えます。ご出身大学の精神科では、中村先生の一回りほど上に、私の出身元の三代前の教授や、書籍で存じ上げている高名な先生方がおられます。直接接しておられたかもしれません。
今思えば、せめて母体のNGOに寄付ぐらいしておくべきだったでしょう。ご冥福をお祈りいたします。